湊(みなと)かなえ『告白』

 

 

【あらすじ】

「愛美は死にました。しかし事故ではありません。

このクラスの生徒に殺されたのです。」

 

我が子を校内で亡くした中学生の女性教師によ

るホームルームでの告白から、この物語は始まる。

 

語り手が「級友」「犯人」「犯人の家族」と次々と変わり、

次第に事件の全体像が浮き彫りにされていく。

衝撃的なラストを巡り物議を醸したデビュー作にして、

第六回本屋大賞受賞のベストセラー。

去年話題になっていた本で、

韓国にいる間もずっと読んでみたかった

湊かなえ(みなとかなえ)さんの「告白」。

先日、偶然父が買っていたのでさっそく読んでみました。

2009年の本屋大賞に選ばれた本です。

松たか子さん主演で、今回映画化されたことで、

また話題になっていますよね。

 

一言で言うと、読後感はとても悪い・・・

 

救いようのない闇に落ちていく話ですし、

「面白い」とか「面白くない」という単純な言葉で

片付けられない本ですが、現代の社会的問題を色々彷彿させる一冊であります。

 

本の感想&ネタバレはこちらへ!!↓

(読んでいない人は注意!)

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本ですが・・・ほんと最後まで一気に読みました。

 

時間があれば1日で読みきれますが、

仕事もあったので3日くらいかけました。

 

中学教師が自分の教え子に自分の娘を殺されるという凄まじい内容ですが、

すごく賛否両論のある内容ではないかと思います。

 

今の現代社会の少年犯罪をテーマにした作品、

小説でも映画でも最近本当に多い。

 

東野圭吾小説の中でも、「さまよう刃」「手紙」など、

少年犯罪に関する重くて救いようのない若者達の

生き様を描いた作品が多いですが、この「告白」も同系統。

 

人間の弱さ・脆さをモロに感じさせる一冊。

 

切れやすい若者、ストレスをどこにぶつけていいか分からず

安易に犯罪に走ってしまう若者、

人と関わること自体がめんどくさいこと、

集団いじめ、そして安易に犯罪に走る人々。

 

こういう作品が増えるということは、

今の社会が実際こういう問題を抱えているっていうことだから、

この作品がたくさんの人に読まれて手に取って

興味を持つ人が多いっていうのはなんだか皮肉。

 

もちろん、この小説の中で繰り広げられるストーリーは、

現実的にはあり得ないくらい惨くて残酷な話なんだけど、

なんか今の世の中を見ていると、近いうちに

この小説の中で起こっていることと同じことが

ニュースに流れる日がくるんじゃないかとも思う。

 

 

それだけ、今の社会は犯罪が溢れている不安定な社会なんだと思う。

この作品の中に出てくる登場人物達は心の中で思っていることと、

表面に出す態度は全然違って、

自分を素直に表現することが全然できないんです。

 

でも、自分は他人に認められたいっていう気持ちはすごく持っていて、

なんとか頑張ろうとするのですが、

それが世間には全く認められず、どんどん間違った方向に進んでしまう。

そしてまた正しい方向に導いてくれる人もいない。

 

なんか、人間は限りなく孤独なのかなぁとか

自分の身を守るのに必死で他人のことなんか

考えられなくなってしまったのかなぁとか考えたら

悲しくなるような登場人物達の行動。

 

結局、この筆者が読者に一番伝えたかったことは何なんだろう?

筆者の湊かなえさんは、何を思ってこういう作品を作ったんだろう?

 

読みながらそれをずっと考えていたんですが、最後まで分かりませんでした。

 

この本でよくできているところは、それぞれの語り手が章ごとに変わり、
それぞれ自分の「告白」をしていくことです。

 

語り手が変わるので、それぞれの視点から事件の背景や、

登場人物の気持ちを読みとることができます。

 

第一章「聖職者」・・・語り手:娘を殺された女先生

 

一章は中学1年B組のHRから。

この日は、3月の終業式。

ここでいきなり先生がクラスのみんなに衝撃告白。

 

冒頭から先生の語り口調で一方的に物語が始まりますので、

最初は「えっ?何?何の話?」って不思議に思いますが、

自分の唯一の愛娘、「愛美」がこのクラスのAとB、

2人の手によって殺されたという衝撃の告白、

そして、先生が2人の生徒に復讐するために、HIVに感染した

「熱血 世直しやんちゃ先生 桜宮正義先生」の血液を

AとBの給食の牛乳の中に混入したという驚きの復讐をクラスメートに告白します。

ここでは、まだ「桜宮正義」先生以外の実名は伏せられています。

クラスメイトの皆、誰が聞いてもAとBが誰か分かっているのに、

敢えて実名を出さない先生にまた恐怖を感じます。

最初の第一章から到底あり得ない衝撃告白と復讐劇で物語の幕は開かれます。

 

第二章「殉教者」・・・語り手:美月

(女先生の教え子、AとBのクラスメイト)

 

ここからは、みんなが2年B組に進級してからの話。

ここから、女先生の名前は「悠子先生」、

Aが「修哉くん」、Bが「直哉くん」ということが分かります。

自分の手で2人の生徒を裁いた悠子先生は、

衝撃の告白の後、学校から姿を消し、代わりに「ウェルテル」という

若い男性教師がこのクラスの担当になります。

語り手は美月。美月が悠子先生に手紙を書きます。

最初に「愛美」を殺そうと企てた「修哉」は、

変わらずに学校へ来ていますが、クラス中からイジメの対象とされます。

 

「修哉」の企みにのって一緒に「愛美」殺しに加担した「直哉」は、

結局まだ死んでいなかった「愛美」を最終的にプールに放り込み、

殺人を犯しました。

そして、HIVに感染させられたかもしれないという恐れから登校拒否になり、

一回も学校へ来られなくなります。

 

そして、この語り手の美月も修哉をかばったことで、

またクラス中のイジメの対象に。

美月と「ウェルテル」は、直哉の家に訪問を重ねますが、

この章の最後でまた衝撃が・・・

今度は「直哉」が家で実のお母さんを殺してしまうのです。

 

ここでは、少し長くなりますが、私は美月のこんな言葉が印象的でした。

『私は守られている方の立場ですが、

先生が話す前から、少年法に疑問を感じていました。(省略)

それを見るたびに、私は、裁判なんて必要ないじゃないか、

犯人を遺族に引き渡して、

好きなようにさせてあげればいいじゃないか、と思っていました。

先生が直くんと修哉くんを自分で裁いたように、

被害者の遺族には、犯人を裁く権利を与えるべきだ、

裁判は、裁く人がいないときだけおこなえばいい、と思っていました。(省略)

でも、この手紙を書いている今は、少し考え方が変わりました。

やはり、どんな残忍な犯罪者に対しても、裁判は必要ではないか、と思うのです。

それは決して、犯罪者のためではありません。

裁判は、世の中の凡人を勘違いさせ、

暴走させるのを食い止めるために必要だと思うのです。

ほとんどの人たちは、他人から賞賛せたいという願望を

少なからず持っているのではないでしょうか。

しかし、良いことや、立派なことをするのは大変です。

では、一番簡単な方法は何か。

悪いことをした人を責めればいいのです。

それでも、一番最初に糾弾する人、糾弾の先頭に立つ人は

相当な勇気が必要だと思います。

立ち上がるのは、自分だけかもしれないのですから。

でも、糾弾した誰かに追随することはとても簡単です。

自分の理念など必要なく、自分も自分も、と言っていればいのですから。

その上、良いことをしながら、日頃のストレスも発散させることができるのですから、

この上ない快感を得ることができるのではないでしょうか。

そして、一度その快感を覚えると、一つの裁きが終わっても、

新しい快感を得たいがために、次に糾弾する相手を探すのではないでしょうか。

初めは、残虐な悪人を糾弾していても、

次第に、糾弾されるべき人を無理矢理作り出そうとするのではないでしょうか。』

 

 

これが、現代の集団イジメの根源となっている問題ではないでしょうか。

自分一人では何も言う勇気はないんだけど、

誰かが始めるとオレも、私もといって次々と加担していく・・・

 

 

第三章「慈愛者」・・・語り手:直哉のお姉さん

 

今度は、殺人者の家族からの視点で描かれています。

語り手は直哉のお姉さんですが、

離れて暮らしている間に、弟が母を殺したという事実を知らされ

事件の真相を確かめるため、母がつけていた日記を読み始めます。

途中から、お母さんの日記になりますので、

実際の語り手はというとお母さんになるのですが、

ここでお母さんの過保護さや、

引き籠りになった息子への接し方の難しさが表現されています。

 

ここではお母さんのこんな言葉が印象的でした。

 

『数年前から、「ひきこもり」や「ニート」という言葉をよく耳にするようになりました。

それらに該当する若者は年々増加し、社会的な問題になっているそうです。

私は、これらに該当する、学校にも行かず、仕事もせず、

家の中でごろごろしている若者に、このような名称を与えてしまったことが

問題ではないかと常々思っているのです。

私達は社会生活を送る上で、どこかに所属していたり、肩書きがあることにより、

安心感を得ているのではないかと思います。

どこにも所属していない、何も肩書きがないということは、

自分が社会の一員として存在していないのと同じことです。

たいていの人は、自分がそのような立場になれば、不安とあせりを抱き、

一日も早く、自分の存在場所を確保しようと努力するのではないでしょうか。

しかし、どこにも存在していない人達に「ひきこもり」だの「ニート」だのと

名前をつけてしまうと、その時点で、それがその人達の所属であり、

肩書きとなってしまうのです。

者会いの中に「ひきこもり」や「ニート」という存在場所を確保した人たちは、

それだけで安心し、仕事に就いたり、学校に行ったりという努力をしなくなってしまうのです。

 

第四章「求道者」・・・語り手:下村直哉

 

ここで直哉の人物像が明らかになるのですが、

自分に対してのコンプレックス、お母さんから「優しい」と言われることにいかに

みじめな思いをしていたかが分かります。

最初のほうにこんな文章があります。

 

『そんな僕を母さんは、親戚や近所の人達に「優しい」と自慢する。

「優しい」って何だろう。ボランティア活動でもしているのならともかく、

僕は「優しい」と言われるようなことをした覚えがない。

褒めるところがないから、仕方なく「優しい」という言葉でごまかしているのだ。

それならむしろ、褒めてくれない方がいい。

僕はビリになるんは嫌だけど、一番になれないことを僻んだりもしていないのだから。』

 

そんな風に、自分に劣等感を持っていた直哉が、

渡辺修哉に踊らされて悠子先生の娘を殺してしまうのです。

 

第五章「信奉者」・・・語り手:渡辺修哉

 

この修哉は、最初に殺人を計画した張本人なのですが、

ここではなぜ修哉が殺人を犯そうとしたのかという動機が明らかになります。

修哉には、母親が2人いるのですが、

産みの親である母親は幼いころから修哉にDVをしていて

結局それが父親に見つかり、離婚します。

母親は優秀な理工学部の大学教授なのですが、修哉はDVに遭っていても

どこまでも母親を尊敬していて。

大好きで。

結局離れた後も、お母さんにまた会いたい、

お母さんが会いに来てくれるためにはどうしたらいいか・・・

色々な策を練って、注目されようとしますが、

結局最後は殺人をしたらお母さんも自分のことを心配して戻ってきて

くれるかもしれない・・・という考えにいたり

殺人を犯すという恐ろしい頭を持つ男の子です。

そして、修哉は最後に自分の通っている学校に

爆弾装置を仕掛けるのですが・・・

この小説は、章ごとにだんだん真相が明らかにになっていくので、

一回読むと離れられません。

 

第六章「伝道者」・・・語り手:守口悠子先生

 

悠子先生は、修哉が中学校に仕掛けた爆弾を解除して別の場所に移します。

その場所とは・・・

修哉が一番愛していたお母さんがいる場所、K大学理工学部でした。

冒頭一章で、牛乳の中にHIVに感染した悠子先生の旦那の血液を

混入したという復讐を告白していますが、

これは結局旦那さんが気づいて牛乳パックを取り替えていましたので、

復讐は白紙になりましたが、

結局、最終的には悠子先生は自分の手で娘を殺した犯人に復讐を下すのです。

この復讐内容については、どちらの方法もあまりにも非現実すぎて、

やっぱりこの物語はフィクションなんだという感じで終わってしまいましたが、

私がところどころ文章を引用したように、

「ニート」や「ひきこもり」という言葉に対しての考え方や、

「犯罪」「イジメ」が肥大していく原因などを

この筆者は冷静に分析していると思いました。

 

でも、この湊かなえさんのプロフィールを見ると、

なんと武庫川女子大学家政学部卒業なんですね。

関西の大学で、しかも私と同系統の学部なので、

プロフィールを読んだ途端、そこに注目してしまいました(笑)

小説家とは全然関係ないところで生きていた人が、

こんなセンセーショナルなデビューを果たすなんて、

やっぱ人生どうなるか分からないですね。

誰にでもチャンスはあるっていうことだな。

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