新婚旅行3日目。

 

起きてからすぐに、昨日浸かった温泉に入りました。

 

この日のロイカーバートは朝からお天気がすぐれず、

少しだけ露天風呂に浸かり、朝食をとりましたが

食べてるうちに、だんだん雨が激しくなり

昨日とは打って変わって雨模様。

 

私は雨女なので、どこか旅行へ行ったら必ず雨が降るんですが

やっぱり新婚旅行でも雨が降りました(T_T)

 

ロイカーバートの朝食もバイキングでしたが

これがまたおいしかった♪

 



 

 

昨日より種類が多くて、またモリモリ食べてしまった(笑)

朝ご飯を食べながら、昨日露天風呂から眺めた雄大な山が見えましたが、
雨が激しくなってきたので、滝のように水がしたたれ落ちていました。


 

 

 

 

こうして室内から雨の音を聞くのは、静かで雰囲気があっていいけど、


旅行だと思うとやはり早くやんでほしいと願うばかりです。

 

 

部屋に上がるためのエレベーターの前に、こんな英国調のイスとテーブルがありました。

なんだか昔の貴族たちがここで座っておしゃべりしているような光景が浮かびます。

こういう家具をみると、実にヨーロッパらしいなと思います。

荷物の整理を終えて、9時過ぎくらいにホテルを出ました。

山道のうえ、雨が激しく降るので昨日より運転が大変。


曲がりくねった道を、ゆっくりゆっくりくだっていきました。

アルプス山脈に雲がかかっていて、幻想的な雰囲気が漂っています。

 

 

 

この日は天気がよかったら、

すぐにスイス旅行のメインであるグリンデルワルトに行って

ハイキングをしようと思っていましたが、

天気が悪かったので、予定を変更して

モントルーにあるシヨン城(CHATEAU DE CHILLON)に行くことにしました。

 

坂道を下ったあと、シヨン城に行くまで私が車を運転することに!

雨が降っているので、少し緊張しましたが慎重に運転。

高速道路は問題ありませんでしたが、

途中だんだん雨がきつくなってきて市内のほうに入ったので旦那と交替。

 

レマン湖沿いに車を止め、一瞬休憩しました。

 



 

レマン湖は、スイス及びフランスにまたがる、中央ヨーロッパのうち

2番目に大きい三日月型の湖で、英語では「ジュネーブ湖」と呼ばれます。

 

面積の約2/5がフランスに属し、約3/5がスイスに属します。

 



 

天気が悪く、風もきつかったので、木の葉が落ちなんとなく寂しげ。

寒くてすぐに車へ戻りましたicon_cry.gif
 

そこからシヨン城に着いたのが約1時間後。

午後1時半くらいでした。

 

幸い、小雨になって写真もなんとか撮れる状態に。

 

シヨン城の外観。

 



 

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シヨン城は、モントルーという街の東にある

レマン湖に突き出るように建っている古城です。

 

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受付で、日本語で書かれたパンフレットをもらったので、

後から出てくる説明はパンフレットを引用してると思ってください(*^_^*)

ちなみに、有料ですがiPodのオーディオガイドも借りることができます。

言語も「フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、

中国語、日本語」と多様ですが韓国語はありません^^;

入場料は大人1人 CHF 12.00です。

現在のシオン城は、何世紀にもわたる建造と改築を経てきたそうです。


ここは自然の地形によって防衛された場所とパンフレットに書かれてありましたが、


確かに湖がすぐそばにあるので、逃げたくても簡単には逃げられなさそう。


この雨の中、観光に来ている人も多かったですが、湖のすぐ近くなので、

静かで雰囲気のあるお城。

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桟橋があり、ここで釣りをしている人もいました。

 

シヨン城の歴史は大きく3つに分けられます。

1.サヴォワ家領時代(12世紀~1536年)

2.ベルン人所有時代(1536年~1798年)

3.ヴォー州所有時代(1798年~現在)


この城の発掘調査は19世紀末から行われましたが、
中でもヴォー州の考古学者、アルベール・ネフ(1862~1936年)の調査により、

シヨン城が建つ岩盤には、青銅器時代から人が住んでいたことが
明らかになったそうです。
城についての最古の記述は1150年にさかのぼります。
最初はイタリアからアルプスを越えてやってくる
東方商人たちに、通行税、物品税をかけるための関所として
造られたようです。
そこからはサヴォワ家が、シヨン城とレマン湖沿いの道路を
すでに支配家においていたことがうかががえます。
1536年ベルン地方のスイス人がヴォー地方を征服し、シヨン城を占領します。
その後、260年以上にもわたり、城は要塞、武器庫、そして牢獄として使用されました。
1798年のヴォー州革命後、ベルン人は城を去り、ヴォー州設立の1803年に
この城はヴォー州の所有となりました。
城の修復工事は19世紀に開始され、現在も引き続き行われているそうです。

また湖側に面する建物は、住居として使用されていたようです。
眺めがいいからでしょうね。
反対に陸側は攻撃に備えた造りになっています。

前置きはこのぐらいにして。。。中に入っていきます。


まず、城の模型がある部屋を通過し、階段を下って地下に入りました。
こちらは地下貯蔵室
 

恐らく11世紀に造られたものですが、その後、拡張と改造がなされました。

現在見られる形は13世紀のものです。

この場所は、貯蔵室倉庫として使われたそうです。

 



 

このような丸天井を「ゴシック様式」といいますが、このような形式を見ると

当時の建築様式をうかがうことができます。

 

こちらは倉庫として使われていたスペース。

 



 



 



 

城の土台となっている岩盤が突き出して見えます。この地下室と次に続く部屋は

13世紀のものです。当時、この場所は貯蔵室や待避壕として使われており、

17世紀~18世紀には、ベルン小艦隊の兵器庫として使われました。

 

こちらは隠し戸



 

城の外壁に、小さな扉がはめこまれています。

 

この地下室は、 元々貯蔵庫として使われていたようですが、

城の住人が貯蔵品を降ろすための出口として、

またいざという時に湖の方へ逃げるための非常口として

使われていたようです。

実際、1536年にベルン人によって城が奪取された時には、

この隠し戸が非常口となりました。

この場所は、16世紀から処刑所となったようです。

 

こちらはボニヴァールの牢獄。

 

こちらも元々は食糧庫、兵器庫として使われていましたが、1290年頃に牢獄となりました。

この牢獄は、イギリスの詩人、ロード・バイロンが1816年に歌った詩、

「THE PRISONER OF CHILLON(シヨンの囚人)」の舞台として知られています。

この詩には、この地下室に幽閉された

フランソワ・ボニヴァール(1493~1570年)がうたわれています。

 



 



 



 



 

牢獄に使われていただけあり、光もほとんど入らず薄暗くて不気味な感じがします。

 

薄暗い牢獄から抜け出し、階段を上って2階に行くと第2の中庭に出ます。

中世には、城の管理を任され、城主と呼ばれたサヴォワ家の役人が、

この中庭に面する建物に住んでいたそうです。

 



 



 

こちらは城主の食堂です

 



 

この部屋は20世紀初頭に修復され、中世的な雰囲気になっています。

城主がこの椅子に座って食事をしている光景が浮かんできますね。

 

13世紀末のモデルをもとに、城の他のほとんどの壁と同様、

テンペラ画(顔料を水と糊剤に混ぜて描く技法)が施されました。

 

壁の布は中世のタペストリーを模したものですが、カシの木の柱は

13世紀、格天井と暖炉は15世紀から残っているオリジナルだそうです。

相当な歴史が感じられますね。

 



 

城の中でも、かつて住居として利用されたエリアには、

13世紀の大きな窓がつけられています。

この部屋もその1つです。

サヴォワ家時代には、この部屋は城主の食堂として使用され、

ベルン人時代には、厨房と居間の2つに区切られていました。

 



 

城主が座った椅子でしょうか。背もたれが高く細かい模様が施されています。

 

食堂を出て更に上階(3階?)に進みます。

 

こちらは、ロウラ・ノヴァ。

 20世紀に修復された部屋です。

この空間はかつては城主の宴会場でした。

アーチ型の天井は1925年~1926年に、考古学者アルベール・ネフにより復元されました。

 



ここから先は、サヴォワ家の私邸として使っていた部屋が続きます。

これらの部屋は、サヴォワ家の人々が城に来た時にだけ開かれ、

調度品が置かれて使用されました。

 

こちらはベルン様式の寝室です。

この部屋は中世に寝室として利用され、

ベルン人支配時代にもおそらく同じ用途で使われていました。

 



 

こんな狭くて硬そうな所で寝るなんて、

想像しただけで、背中が痛くなりそうです。

ゆっくり休めたんでしょうか(笑)

 

白い壁には不思議な曲線や植物、果実、動物などが描かれています。

これはベルン様式の装飾で17世紀初頭のものだそうです。

 



こちらはサヴォワ時代には客間として使用されました  ととして 



 

こちらは紋章の間

ここは中世時代には謁見の間として使われていました。暖炉と格天井は15世紀のものです。

 



 

壁に見られる多色の帯状装飾には、1536年から1733年まで城主としてこの城に住んだ、

ベルンの代官たちの紋章が施されています。

 



 

こちらはカメラ・ドミニ(領主の寝室)

 



 



サヴォア伯爵、後の公爵の寝室でした。

この部屋は、13世紀、サヴォワ家のピエール2世の時代に建築され、

14世紀に大きく改造されました。

 

壁の装飾は、その改造当時のオリジナルです。

見えにくいですが、生い茂る植物の間に動物が描かれています。

 



天井も写真では非常に分かりにくいのですが、

百合の花と十字模様が施されています。

サヴォワ家の紋章を思わせるこの十字は、スズの板を切り抜いて作られたものです。

 



こちらは「オーラ・マグナ」といって、

中世にサヴォワ家が接見、レセプション、パーティーなどに使用した部屋です。

また臣下を呼んで、裁判を行ったのもこの部屋でした。

13世紀に「オーラ・マグナ」または「下のオーラ・マグナ」(下の大広間)と呼ばれた

この場所は、その後ベルン人支配時代には粉ひき器と圧搾機が設置され、

製粉部屋となりました。

1839年からは「正義の間」と呼ばれています。

黒大理石の柱、湖に面した窓は13世紀、天井と暖炉は15世紀のものです。

この大広間と隣の二つの部屋は、現在、貸しホールとして、

ディナーショーやカクテルパーティー、

またはコンサートなどの催しにも使われているそうです。

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ここまでは結構ゆっくり写真を撮りながら見学していたのですが、

ちょっと疲れてきたため、少し休憩して天守閣に向かうことにしました。

まず模型展示室の階段を上り、第三の中庭を抜けて、第四の中庭へ向かいました。

(階で数えると4階になるのかな?)

 

「クーチンの中庭(二つの防御壁を結ぶ中庭)」と呼ばれるこの中庭は、

城を防衛し、旧街道を監視するために造られました。

厚い防御壁、矢を射るための穴や銃眼といった狭い開口部、

そして防御のために建設された覆道(ふくどう:木製の足場)や石落とし、

城前面の射堤が見られます。

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こちらは防御塔。

半円形の3つの塔は、1230年頃に建築され、何度かにわたり高く改築されました。

また、より効果的に城を防御できるようしばし改造も行われました。

この防御塔は3つある塔のうち、2つ目に当たります。

当時の兵士たちが身につけていた金属防具が展示されていました。

ただ飾ってあるだけなのに、薄暗いと今にも動き出しそうでちょっと怖かったです^^;

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こちらは「ロジア・パーラメンティ」

13世紀から15世紀にかけて、ここは

「ロジア・マグナ・パーラメンティ(屋根付きの大きな部屋)」という

その名の通り、屋根のついたバルコニーの形をした、大きな大接室でした。

サヴォア公や城主たちが、ここで謁見と裁判を行っていました。

その後、この部屋は15世紀末に台所となり、16世紀になって一部が取り壊され、

下の第一の中庭を監視する司令室に改造されました。

17世紀末には鍛冶場となり、1836年以降は大砲運搬車の格納庫として使用されました。

 

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監視塔を通りすぎ、監視回廊に進みます。

監視塔は現在、城に住む管理人のアパートになっているそうです。

 

こちらが監視回廊です。

一方に城の中庭、反対側に、ヴィルヌーヴの街やアルプス前衛山脈を背後にした、

湖の素晴らしい眺めを堪能することができます。

 

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監視回廊の曲がり角には、船の「へさき」のように望楼がつけられています。

城の事務室となっている建物を通り越すと、第一、第二の中庭を見下ろすことができます。

その先の監視回廊は、サヴォア時代当時から残るものです。

 

こちらは宝物館です。

13世紀末に建築されたこの建物には、貴重品、土地に関する登記証書、古文書、

とりわけサヴォワ家の記録文書が収められていました。

1815年に改造され、階段構造になりました。

銃などの武器もこちらに保管されていました。

 

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ここから天守閣まで行くためには、

70段以上の狭くて急な階段を登らなければいけません^^;

 

シヨン城が建てられている岩盤の、ほぼ中央付近に位置するこの天守閣は、

おそらく11世紀に建築されました。

避難塔、そして権力のシンボルを兼ねた天守閣はまた

見張り塔や、一時的な住居、倉庫としても使われました。

後世には、牢獄や火薬庫となりました。

天守閣の入り口は安全のため高い所に位置していて、

はしごや跳ね橋を使ってしか入ることができませんでした。

天守閣は一度高く改造された後、14世紀初頭になって再び高く改築され、

現在の高さ(約25メートル)になりました。

かつて、住まいとして使うことができたのは2階部分だけでしたが、

20世紀にこの天守閣が修復された時、階段が取り付けられ、

最上階まで上がれるようになったそうです。

 

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お天気がすぐれず、いい写真が撮れなかったのが非常に残念でしたが、

頑張って天守閣まで登った甲斐あり、城とその一帯の360度のパノラマを一望できました^^

 

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11世紀に城壁の中心に建築された天守閣は、今日のシヨン城に残る、最も古い建造物です。

 

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壁を繰り抜いて造られた窓から見える街並みとレマン湖は最高でした。

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どよーんとした天気で残念m(__)m

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ここまで上がる人はなかなかいないようで、

階段も詰まることなくすいすい上がっていけました。

 

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城の出口を出て、車に戻ろうとする時、大学生くらいの若い男の子たちが

すれ違いざま私たちを見て突然、なんとPSYの「江南スタイル」を踊り出しました^^

そして旦那も陽気に踊り返す^^;

全世界で流行しているのはニュースでも連日流れているので、分かっていましたが

こうして遠いスイスでも韓国のPSYが知られていると思うと、

改めてPSYの人気を感じます。

 

 

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一つ残念なことは、あとでパンフレットを見て気付いたのですが、

このシヨン城でしか買えない「クロ・ド・シヨン」という

オリジナルワインがあったようです><

このシヨン城では12500㎡のブドウ畑を所有しているそうで、

この「クロ・ド・シヨン」は、白ブドウ品種のシャスラーから造られているそうです。

ちなみに、このワインの売り上げ益は当時の保存・修復に充てられているようです。

 

ワインが好きな私たち。

最初から知っていたら必ずここでワインを買っていたと思いますが、

気付かなかった私たちは、スイス旅行の記念として

こんな小さな置き物を1つ、自宅用に買い美しいシヨン城をあとにしました。

 

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シヨン城の情報はこちらです!↓

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FONDATION DU CHATEAU DE CHILLON

21,avenue de Chillon CH-1820 Veytaux-Montreux スイス

行き方:列車→Veytaux-Chillon下車

バス→湖畔のインフォメーション前から201番に乗って約15分

Chillon下車。

電話:+41-(0)21-966 89 10

HP:www.chillon.ch

http://www.chillon.ch/en/Other_languages/japanese(日本語)

開城時間: 年中無休(12月25日と1月1日を除く)

1月・2月・11月・12月       10:00-17:00 (入場は16:00まで)

3月・10月                          09:30-18:00 (入場は17:00まで)

4月から9月                    09:00-19:00 (入場は18:00まで)

 

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