東野圭吾「殺人の門」

Filed Under () by Gatuchan on 31-01-2010

東野圭吾「殺人の門」

 

 

殺人の門 殺人の門
(2003/08)
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【あらすじ】

「倉持修を殺そう」と思ったのはいつからだろう。
悪魔の如きあの男のせいで、私の人生はいつも狂わされてきた。
そして数多くの人間が不幸になった。
あいつだけは生かしておいてはならない。
でも、私には殺すことができないのだ。
殺人者になるために、私に欠けているものは何なのだろうか?
人が人を殺すという行為はいかなることなのか。

 

この殺人の門も、「手紙」「白夜行」「さまよう刃」などと同類で取りあえず

「重」

です。

読んで不快感を味わったり憂鬱になる人も少なくないかもしれません。
でも、このような重厚な作品だからこそ、最後まで一気に読み進めてしまえる勢いがつくのかもしれません。
私は好きなジャンルです。

感想の続き&ネタばれはRead more!!↓

【感想】

「人間はいかに弱いものか」
この本を読みながらそう感じました。
そして、
「人間は一人では生きていけない。だれかを頼りにして生きていかなければいけない」
ということについても改めて考えさせられる一冊です。

「殺人の門」はトリックがあったり、
仕掛けがあるようなミステリー・推理小説ではありませんが、
人間の心理変化、心理描写を読み手に推理させながら、
次に登場人物はどういう行動をとるかについて考えさせます。

そして東野圭吾は、その心理描写の描き方がものすごくうまい。
他の作品「手紙」や「さまよう刃」などとジャンルが似ているのですが、
特に人間の弱い部分について非常に細かく描写されています。
だから、次に登場人物がどんな行動をとるのか気になって次々ページをめくっていき、
結局没頭して一気に最後まで読んでしまうのです。

東野圭吾の本は一度読んでしまうと集中してしまうので、他のことが手につきません。

この話の主人公は「田島和幸」。
歯医者の一人息子で幼い時から家政婦を雇えるくらいの裕福な家庭に生まれる。
しかし、同居していた祖母の死をきっかけに人生の歯車が狂い始める。
両親の離婚から、和幸は父のせいでどんどん闇に落ちていき、壮絶な少年時代を過ごす。

この壮絶な少年時代がまずは前半部。
女に溺れ堕落していく父の様子や、学校でのいじめ、実らぬ初恋とその女の子の死。
東野圭吾ならではの重い闇世界が今回も重厚に仕上がっている。

そして後半部は和幸が大人になってからの人生。
高校を卒業し、やっと父の呪縛から離れられたと思ったのもつかの間、
職場での先輩からのいびり、悪徳商法の世界、金遣いの荒い妻、離婚。。。
結局、和幸も自然とあれほど嫌っていた父と全く同じ悲壮な運命を辿ることになるのである。

そして、この物語の一番面白いのは、和幸の人生に小学校時代の友人
「倉持修(くらもちおさむ)」が絡んでくることである。

小学生の時から、騙され利用され裏切られ、何度も何度も倉持を殺そうとする和幸だが、
いつも口上手く相手を引きつける倉持のペースに引き込まれて殺意をなくしてしまうのだ。

この物語で面白いのは、和幸と倉持の距離感です。
和幸は騙されるたびに倉持を殺そうとするのに結局殺せず、
しばらく距離を置くのですがまた和幸は倉持と引き合ってしまいます。

この「倉持」という人物の描き方もものすごくうまいです。
傍から見たら、ただのペテン師なんですが、ものすごく口が上手いので聴いている人達はみんな彼の話に引きこまれ騙されてしまう。

そして世の中の汚さをよく理解し、その汚さを金を掴むために利用する。

口が上手い人って信用できませんが、ある意味尊敬してしまいます。なんでそんなに話が上手いんだ?って。

私はどちらかというと、和幸みたいに不器用なほうなので、倉持のような生き方は羨ましいかな。

もちろん、ある意味ではってことだけど。

そして、最後に東野圭吾特有のどんでん返しがあります。
推理小説はどの本でもそうかもしれませんが、どの登場人物も見逃してはいけません。
すべてが関係者です。
少ししか出てこなかった脇役が、最後に和幸に重要なヒントを与えてくれるのです。
そして、和幸は今まで越えられなかった「殺人の門」を超えようとし、倉持の首に手をかけるのですが……

最後に和幸が倉持を殺せたのか、結果は分かりません。
小説は「おれは殺人の門を超えたのだろうか。」という和幸のセリフで終わります。

この小説での焦点は

「殺人者になるために、和幸に欠けているものは何なのだろうか」ということです。

この問いに関して、最後の方に刑事が和幸にこのようなことを言います。

 

「殺人を起こす時は、動機も必要ですが、環境、タイミング、その場の気分、
それらが複雑に絡み合って人は人を殺すんです。」と言いました。

私が思うに和幸が殺人を起こそうとして起こせなかった理由は次の2点だとも思います。

 

まずどんなに憎くて、どんなに裏切られても私は一度生まれた「情」は消えないと思います。
和幸も、何回もひどい仕打ちにあっているのに、それでも倉持のことをまた信じようとして
元の友人の間係に戻ったのは、倉持に対して既に「情」が入っていたからだと思います。

でも和幸は騙されすぎなんですけどねぇ・……。

読み進めていくうちに、「あーそこで騙されてるよ!!ダメダメ!!」とこっちが止めたくなります(笑)

2つめは、もし私が和幸の立場なら、倉持は最悪な奴で憎くて恨みたくてしかたありませんが、
そんな最低な人間に騙されて朽ちてしまった自分をもっと責めてしまうと思います。
もちろん相手も憎いんですが、そんな人にまんまと騙されてしまった自分が嫌になると思います。

和幸は倉持を殺すということは自分が間違っていたと認めることになるから最後まで殺せなかったのでは?

また途中、和幸が
「人は本当にいかなる時でも人を殺してはならないのか。
人は人を殺してはいけない-それは原則にすぎなのではないか。
時にはそれをなさねばならない時もあるのではないか。たとえば戦争だ。
人を殺すことを国家が命じるのだ。あるいは正当防衛という法律。
どこからどこまでを正当とするかは誰にも決められない。
未来の危険を予想して殺した場合はどうなるのか」

と自問自答するセリフがありますが
これは他の「手紙」や「さまよう刃」でも重要なキーワードとなっており、
東野圭吾自身も考え続けている問題なのではないかと思います。

確かに原則からいくと、当たり前のように絶対にいかなるときでも人を殺してはならないと思います。
でも、殺人に至るまでの背景を考えると簡単にそう言い切ることはできないんじゃないかという気もしてきます。

う・・・・ん。永遠に答えの出ない難しいテーマだと思います。

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