チュクノクウォン(축녹원)を出ると、時刻はすでに16時をまわっていました。

DSC01603
足も肩も痛くなってきたので、そろそろまたクァンジュに戻ろうかなとバス停に向かう途中、
コスモスが道端にたくさん咲いていました。

DSC01606
 

秋を最も感じさせてくれる花。
秋桜(コスモス)

コスモスの花言葉は色々あるそうですが、一般的には
 “乙女の純真””乙女の真心“という純潔系の花言葉、

その他にも

”調和“”美麗“といった美しさを褒め称える言葉があるそうです。
私向きじゃないけど・・・^^;

 

てくてく歩いていると、途中大学があり、向かい側にバス停を発見しました。
どうやらこのバスに乗ると、タミャン駅を経由して、
クァンジュ市内まで行くことができるようです。

15分くらい待って、バスに乗りました。
バスに乗って揺られていると、疲れが出てきたのか、
1時間程ぐっすり眠り込んでしまいました。

気づくと、どうやらクァンジュ市内まで来ていたのですが、どの辺りかよく分からず。
今日は、持ってきたガイドブックに載っていた安いホテルに泊まる予定で、
そのホテルがKTXのカンジュ駅の近くにあるので、その近くで降りたかったのですが、
分からなかったので、結局朝着いた総合バスターミナル駅までまた戻ってきてしまいました。

そこから、KTXのクァンジュ駅は少し離れているので、
インフォメーションのお姉さんにどのバスに乗ったらいいか聞くことに。

バスの乗り場とバス番号を教えてくれたので、
とりあえず歩いて5分くらいの市内バス停に行きました。
また15分くらい待ってやっとバスが来たのでそれに乗ったのですが、結構混んでいました。
20~30分くらいバスに乗っていましたが、無事KTXのカンジュ駅の前に着きました。

ここが

KTXクァンジュ駅

DSC01608
 

特に何もないです。

モーテルがいっぱい立ち並んでいましたが、さすがにモーテルは抵抗あったので、

目的の

コリアナ観光ホテル(코리아나관광호텔)を探すことに。

地図を見ながら試行錯誤探しましたが、すぐ見つかりました。

DSC01630
DSC01628
一応普通のホテルなんですが、三流ホテルのようで、外装はかなり古い・・・

 

やめようかな、どうしよっかなと悩んでいましたが、ホテルはホテルだし、ガイドブックには
1泊3万ウォンと書いてあったので、思い切って入ることにしました。

フロントには、おじさんが一人。
「女性1人ですけど、泊まれますか。」と聞いたところ、少し不思議そうでしたが、
「大丈夫ですよ。」と笑顔で答えてくれました。

2年前のガイドブックだったので、値段は1泊4万ウォンになっていましたが、

それでも安いほうなので、そこに泊まることにしました。

部屋の中は、インターネットも完備されていて、問題ありませんでした。
こんな感じ。

ベッド。

DSC01609
 

ドレッサー前。

 DSC01611
机。

DSC01610
浴室。

DSC01626
 

少し休んでから、クァンジュ市内を見物しようと思い、18時くらいに部屋を出ました。
市内まで、そんなに遠くないかなと思って、歩いていくことにしたんですが、
これがかなり遠かった。
一時間以上かかりました。。。

地図を見ながら歩いたので、方向は合っていたのですが、

どこまで行ってもなかなか市内が見えてこない・・・

疲れてきて途中何回もバスに乗ろうとしたのですが、

なんか乗りそびれちゃって、結局最後まで歩きました。

 

途中、新型インフルエンザの予防のため、歩道に手洗い場が設置されているのを発見!
最近は、韓国でも手洗いを徹底してやろうという政府からの試みでしょうか。

DSC01613
そして、途中また変な人に声掛けられました・・・( ゚Д゚)㌦ァ!!
なぜかよく変な人に声を掛けられる私・・・

今度は、子連れのお母さん。
前から歩いてきたんですが、突然食い入るように私の前に立ち止まって、

「ちょっといいかしら?」
「あまりにも、美しいから目に飛び込んできたわ!!
「ちょっとお話させてもらっても・・・」

はいはい~、結構です(`Д´)
慌てて逃げたよ~
もう外も暗かったし、ホントびっくりした!!
たぶん、またキリスト教の勧誘だと思うんだけど、なぜ今日に限ってこんな多いんだろ??

さて、やっと地下鉄が見えてきて市内に入ってきました。

 

ここで、ガイドブックに書いてあるチュオタン(ドジョウのスープ)を

食べようと思ったんですが、なんか、全然お腹がすいてなくてやめました。

すごく歩いているのに、こんなにお腹が減らないなんて珍しいんだけど・・・

ここは、「錦南路4街(クンナムロ4ガ/금남로4가)」という地下鉄の駅前。
「함께 걸어요!소망터널(一緒に歩こう!願い事のトンネル)」と書いてありました。

DSC01614
 

階段もライトアップされていて綺麗です。

DSC01615
DSC01617
さて、この光州という都市について少し説明しておこうと思います。

光州。ここは

「芸術の都、義の都、味の都」とも言われ、

李氏朝鮮時代には多くの文人を生み出しました。

そして、実は悲しい歴史が刻まれている都市。

 

そう、その悲しい歴史とは、1980年に起きた

光州事件

 

韓国では「5・18光州民主化運動」と呼ばれています。

 

光州事件とは、

1980年5月18日から27日にかけて発生した、

民主化を求める活動家と、それを支持する学生や市民が韓国軍と衝突し、

多数の死傷者を出した事件のことです。

 

1979年10月、第5~9代大統領、朴正煕(박정희~1917~1979)が射殺されました。

この人が朴正煕。(Wikiより抜粋)

200px-Parkchunghee_resize
 

軍事独裁・権威主義体制を築いた人です。

釜山・馬山で大規模な民主化デモ(釜馬民主抗争)が起こっていた1979年10月26日、
側近のKCIA部長、金載圭によって射殺されました(10・26事件)。

その後、新たな軍事勢力を持ったのが当時の保安司令官、
全斗煥(チョン・ドゥファン/전두환)でした。

1979年12月12日、戒厳(かいげん…戦時または事変に際して、平時の法を停止し、
行政・司法権の全部または一部を軍隊の司令官にゆだねること)

司令官の鄭昇和(チョン・スンファ/정승화)陸軍参謀総長を逮捕し

軍の実権を掌握しました。

これが粛軍(しゅくぐん)クーデターです。

当時は「ソウルの春」とよばれる全国的な民主化を求める国民運動の盛り上がりの中で起こり、

全国各地で民主化要求のデモが続いていました。

そこで、全斗煥の新軍部は1980年5月18日、全国に戒厳令を布告しました。

 

執権の見込みのある野党指導者の

金泳三(キム・ヨンサム/김영삼)・金大中(キム・デジュン/김대중)や、

旧軍部を代弁する金鍾泌(キム・ジョンピル/김종필)を逮捕・軟禁しました。

特に、金大中は全羅南道の出身で、光州では人気がありましたので、

これに対して、光州市は戒厳令撤廃と金大中氏釈放を求める大規模なデモを起こします。

軍は市内各所で武力弾圧を開始、21日には全羅南道庁舎前で

軍による無差別発砲で数十人の市民が射殺され、これを機に市民と軍との銃撃戦に発展しました。
市民は、事態収拾のため「市民収拾委員会」を組織し、軍との交渉で武装解除に合意しますが、
一部が武装解除を拒否。27日には軍が市内に突入し、多数が死亡しました。

その広場が5・18広場

旧全羅南道庁前です。
少し暗くて見えにくいかもしれませんが・・・。

DSC01625
今はこの付近が、光州で一番栄えているところですが、
ここで、銃撃戦が行われていて、多数の人が亡くなったなんてなんだかとても悲しいですね・・・

光州の歴史、少し詳しくなりました。

また光州は先ほど「芸術の都」と言いましたが、

ここが「芸術の通り」です。

DSC01619
 

DSC01620
なんか、ルミナリエのしょぼいバージョンかな。
この通りには、古美術や書画を扱うお店が並んでいて、ソウルのインサドンのような雰囲気。

結局、ここに来るまで1時間半以上歩いて、ホントにくたくたになりましたが、
最後までお腹が減りませんでした。
だから屋台のハンバーガーと缶ビール、そしてお菓子をホテルで食べて寝ることにしました。

DSC01627
長かったですが、やっと1日目の日記書き終えました。

Facebook にシェア

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

トラックバックURL

ページ上部に