日本に帰国して、なんか色々やりたいことはあるし、

時間もあるんだけど いざ「やるッ!」となると何からやっていけばいいのやら~。

ってことで。

 

 

友達にも会いたいことは会いたいんだけど、やっぱりプー太郎の身としては、

なんとなくお金をじゃんじゃん使いすぎるのにも気が引けて。

 

小心者かもしれないんですが。

 

やっぱり心のどこかで焦ってるのかもしれないね。

 

とりあえず。

 

帰国したら、日本のいろんなところ、

特に自分の住んでいる京都には

色んな美しい景色・歴史・建築などがあるのにも関わらず

あまりにも知識なさすぎ~ということで、

まずは近くのところから回っていくことにしています。

 

 

特に今は紅葉シーズン。

 

私の家からさほど遠くないところにある

紅葉で有名なお寺へ歩いて行ってきました。

 

 

西山浄土宗 総本山「光明寺(こうみょうじ)」

 

 

ここの境内には、秋になると鮮やかな紅に染まる楓の木がたくさんあり、

紅葉の時期は多くの人がカメラを持って美しい写真を撮るために集まってきます。

 

 



 

 



 

 

まず、総門をくぐります。

そして、表参道を上がっていきました。

今が本当に紅葉の色が一番赤く染まって鮮やかに出ていました。

 



 



真っ赤な色から、オレンジがかった色、黄色、

そして黄緑など 様々な色の紅葉が太陽の光に照らされてとても綺麗に反射しています。

鐘楼です。

 



 



 

この光明寺の開山第一世は法然(ほうねん)上人 

「月影のいたらぬ里はなけれども、ながむる人のこころにぞすむ」

 

この歌は、法然上人が阿弥陀仏への信仰を歌に詠んだものです。

阿弥陀仏を「月」に、阿弥陀仏の救いの光を「月影」に、

十万世界を「里」に、 お念仏申す人を「ながむる人」に譬えています。

 

阿弥陀仏の慈悲の光が届いていない里はどこにもないが、

弥陀の慈悲はお念仏者の心にだけ住み着くという意味です。

ここが光明寺の中心になるお堂 「御影堂(みえどう)」です。

 



 

宝暦3年(1758年)に再建されました。

 



 

御本尊は法然上人御自作の「張り子の御影」です。

 

これは法然上人が75歳の時、「建永の法難」と呼ばれる弾圧により

四国へ流罪になったとき、弟子の願いに応えて、

大切にしていた母君からの手紙を張り合わせて 自らの姿を像に作り、

形見として与えたそうです。  

 

靴を脱いで中に入り、廊下を通っていきますと・・・

 



見えてくるのが「釈迦堂(方丈)」と「信楽庭(しんぎょうてい)」

 

ご本尊は「頬焼の釈迦如来」

淀の水津村の漁師で、悪次郎とあだ名されたほどの乱暴者が、

托鉢の僧(実はこのお釈迦様)と出会って心を入れ替えるという物語に登場する仏像です。

頬には悪次郎に焼火箸で焼かれた跡という傷が見えます。

 



 釈迦堂の前の白州に大小18個の石を配した庭は、

阿弥陀さまの慈悲に包まれながら

生死の大海を渡る念仏行者の姿を現しているといわれています。

一番おおきな三つの岩は弥陀三尊の姿です。

また18という石の数は、阿弥陀如来が私たちに約束されたといわれる

48の願いのうちの 18番目「念仏往生の願」を象徴しています。

釈迦堂に入ると、こんな立派な胡蝶蘭(こちょうらん)が飾られてありました。

 



 

これは、釈迦堂につながる「勅使門」です。

 



 



 ちら、勅使門を出た先にもホントに紅葉狩りにきている人が多く、

私と同じようにあちこちでシャッターをきっているひとがいました。

人がいないところでのいい写真を撮るのはやっぱり難しいな(*-*)

綺麗だと思って撮っても、後からみるとなんかのっぺりしてしまう。

 



 

さぁ~ここが有名な「もみじの参道」です。

総門から薬医門をへて玄関へいたるゆるやかな坂道の参道は、

両側から楓の木々が大きく枝を伸ばし、

紅葉の季節にはちょうど華やかなトンネルになります。

また、初夏の青葉も綺麗だそうです。

 



すみません・・・^^;やっぱり人が写ってしまいますが、

雰囲気だけ。

 



 

でも、この紅葉の写真はなかなかのお気に入り。

あと、写真は撮っていませんが、

御影堂の右側に「阿弥陀堂」というお堂があります。

ここは、建久二年(1198年)の創建に力を尽くした

熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)が

琵琶湖畔堅田(かただ)の浮御堂から背負って帰ってきたという

大きな阿弥陀像(約2m)が置かれています。

 

武士として戦乱に生きた直実は自らの罪の深さにおののいていましたが、

法然上人の

「どんなに罪が深かろうと念仏を一心に申せば必ず救われる。」というお言葉に、

その場で出家を決意したといわれています。

 

その直実が熊谷連生法師として、念仏一筋に暮らしたのが「念仏三昧院」

 

光明寺の前身です。

  家から歩ける距離かなぁ~と思って頑張っていきましたが、

1時間以上かかったのかなーー^^;  

帰りは電車とバスで帰りましたが、

プー太郎としては動かなければ消費できないので、

かなりいい運動になりました!!

 

光明寺へのアクセスはこちら↓!!

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【施設】光明寺

【住所】〒617-0811 京都府長岡京市粟生

TEL:075-955-0002

【HP】http://www.komyo-ji.or.jp

【行き方】JR「長岡京」駅下車、もしくは阪急「長岡天神」駅下車・・・

阪急バス「20-22号系統」-「光明寺」下車(共に15~20分)

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