龍馬と歩く京都の町&酒の名所 伏見へ①

Filed Under (京都, 寺・神社) by admin on 02-05-2010

ご無沙汰していました。

新しい仕事を日本ではじめて、約三ヶ月が経とうとしています。

この三ヶ月、生活の中心がほぼお仕事になっていて、気がつけば仕事とプライベートが半分くらい
ごちゃごちゃになっていました。

振り返ってみると、全力疾走・猛ダッシュしてきたという感じですが、
やはりこのブログの更新もほぼ壊滅状態だったし、体調も崩したし、このGWを境目にして、
仕事を始める前に決めた目標をここで改めて見直してみたいと思います。

まぁ。

前置きはここまでにして。

GWは5日間のお休みを頂きました。
このお休みにもいっぱい食べて、案の定太ってしまいましたが、ずっとお天気が良かったので、
自然と戯れながらいい空気をいっぱーい吸ってパワーをもらいました!!

今回は、遠出はせずほぼ京都にいました。

2日目の5月2日は、タイトル通り、京都の「伏見」界隈へ友人と2人で足を伸ばしてきました。

「伏見」といえば、最近は「龍馬伝」で大賑わい。
世間はどこへ行っても「坂本龍馬」ブームにのっとり、土佐だけでなく、ここ京都もかなり賑わっています。
そういう私も福山さんが大好きなので、「龍馬伝」は毎週欠かさずチェックしていますが、
時代劇を通して知れる歴史というものもとっつきやすくていいですね。

時代は全く違うけど、現代まで語り継がれてきた偉大なる人物「坂本龍馬」が何をしてきたのか、
誰と関わってきたのか、どのような考え方をしている人だったのかなど、メディアを通して詳しくなれる・・・。

ここ「京都市伏見区(ふしみく)」という場所は、そういう歴史街道で有名な場所で、
「新撰組」の時もかなり観光客でひしめきあっていましたが、私がここへ観光としてくるのは初めてです。

以前一度、後で紹介する「月の蔵人」というお店に夜ご飯を食べにきたことがあるのですが、
やはり京都人なので、いつでも来られるという思いから近いのに行ってみようとしたことはありませんでした。

もうひとつ、「伏見」といえば「お酒」の街で有名なんです。
日本を代表する「月桂冠」や「黄桜」の酒蔵はこの「伏見」にあります。

ということで、これも私が行きたかった理由の一つ(笑)

「伏見」の名所へ行くには電車だと「京阪電車」か「近鉄電車」を使いますが、
私達は京都駅から近鉄電車に乗って「桃山御陵前(ももやまごりょうまえ)」という駅まで行きました。

京阪電車の場合は「中書島(ちゅうしょじま)」という駅で降ります。

とりあえず、着いたのが2時過ぎだったのですが、2人とも微妙にお腹が減っていたので、
お茶も兼ねて簡単に何か食べよういうことに(笑)

「桃山御陵前(ももやまごりょうまえ)」駅を降りて歩いていくと、すぐに割と大きな商店街があるのですが、
ローカルな街なので、洒落たカフェなんかが全然ない(笑)

選ばないならマクドとかなんなとありましたが、入りそびれているうちに観光スポットに来てしまいました^^;

観光スポットにいけば何かあるかな?と思いきや、
昔ながらの街並みに観光スポットを付け加えたような感じのところなので、結局京阪「中書島」駅のほうまで
歩いていって、昔からありそうな「メルヘン」というおばちゃん一人でマイペースでやってる
喫茶店に入って一休みすることにしました。

またそこのおばちゃんも面白い。カウンターにいるお客さんと普通に大きい声でめっちゃ世間話してるし(笑)
お客さんがきても、声のトーンはおなじ。なんか仕事の愚痴とか言って。

軽くトーストとアイスコーヒーを飲んでお店を出ました。

観光スポットはかなり限られているので、ホント半日くらいで十分OKな場所です。

ここは「弁天橋(べんてんばし)」

天気がよかったので、空も真っ青だし、川の水もキラキラしてるし、草の緑とのコントラストも抜群!!

流れている川は「濠川(ほりかわ)」という宇治(うじ)川脈流の川です。

ここで有名なのは「十石舟(じっこく/じゅっこくぶね)」と「三十石舟(さんじっこくぶね)」という濠川を運行する二つの舟。

この十石舟・三十石舟は、月桂冠などの55社の出資になる(株)伏見夢工房が運航する屋形船なんです。

江戸時代には、伏見の米や酒、人を大阪に運ぶために宇治川~淀川を行き来する木造の輸送舟としてはじまり、

明治時代末期まで存続したそうです。その後、1998年にかつての港町伏見をしのぶ屋形船仕様の遊覧船として、

再び濠川に航路が開設されました。

私達は乗らなかったんですが、運航ルートなどに詳しいHPがあるので、こちらに紹介されています。

「平成22年十石舟・三十石舟の旅」

「十石舟」は「月桂冠大倉記念館裏乗船場発→三栖閘門資料館(みすこうもんしりょうかん)下船(見学)→乗船→月桂冠大倉記念館裏乗船場着」で往復約55分。大人は1000円、小人(小学生以下)は500円です。

「三十石舟」は「寺田屋浜乗船場発→三栖閘門資料館(みすこうもんしりょうかん)下船(見学)→乗船→寺田屋浜乗船場着」で往復約40分。大人は1000円、小人(小学生以下)は500円です。

乗っている人はやはり年配の方が多かったんですが、春桜の綺麗な時期なんかに乗りにくると情緒溢れる空間を楽しめそうです。

次に行ったのは「長建寺(ちょうけんじ)」

真言宗醍醐寺派の寺で、本尊は八臂弁財天(はっぴべんざいてん)。

弁財天(はっぴべんざいてん)というのは、仏教の守護神である天部(密教における神々)のこと。

本来は仏教の尊格ですが、日本では神道の神ともされ、七福神の一員でもあります。

この「弁財天」は「言語・音楽・学問」「商売繁盛」として知られているそうです。

ここで正月以来のおみくじをひいてみたのですが・・・

結果は「末吉」

なんか、正月からぱっとしないなぁ~という感じ。

ここは「和歌」のおみくじだったんですが、「和歌」の句にある一発目が

「もやもやと・・・・」から始まっていた><

確かにそういう心情かもなあ。

ただおみくじの内容を全体的にまとめると、時間は長くかかるけどもやもやしていることはやがて晴れていくということでした。

うん。

時間が解決してくれるということかな。

(龍馬と歩く京都の町&酒の名所 伏見へ②に続く・・・)

長岡天満宮

Filed Under (寺・神社) by Gatuchan on 12-01-2010

今日は初詣第二段と、お守りを買いに行くのと、運動の目的で

割と近くにある

 

「長岡天満宮」

 
行ってきました。

 

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この天満宮は

 

「菅原道真公(すがわらのみちざねこう)」

 

がご生前に在原業平(ありわらのなりひら)とともに、しばしば遊んで詩歌管弦を楽しんだゆかり深いところです。

 

道真が、大宰府へ左遷された時、この地に立ち寄り

「わが魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだ縁故で

道真自作の木像を祭ったのが長岡天満宮の創立だそうです。

天満宮は「学問の神様」で知られて

私の家から歩いたら1時間くらいかかるんですが、最近このように意識的に運動しないと太るのと健康に悪いので

頑張って歩きながら、京都の勉強♪ 歴史の勉強♪

韓国に行って日本語を教えていた時に、あまりにも自分の無知さに気付きました。

特に自分が住んでいる「日本」という国のことはまだまだ知らない&奥深いところが多くて。

まだまだ先の話ですが、通訳ガイド試験なんかにも興味があります。

別に観光ガイドになりたいというわけではないのですが、

その試験では韓国語だけでなく日本地理・歴史・文化についてかなり知っておかないといけません。

その問題をちょっとやってみたことがあるんですが、その時に

「日本へ帰ったら日本についてもっと知ろう」と決心しました。

やりたいことがいっぱいあるのですが・・・^^;

 

さて。長岡天満宮。

まず正面はじめの鳥居をくぐると

 

「八条ノ池」

 
という大きな池が見えてきます。

この池は、1638年(寛永15年)つまり江戸時代に

八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)によって築造されました。

とても綺麗な池です。

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そして、このすぐ近く中堤の両側に「キリシマツツジ」があります。

今は冬なのでまだ全然分かりませんが、春4月から5月にかけて綺麗なツツジが咲くことで有名なそうです。

このキリシマツツジは、樹齢百数十年のもので、日本随一とされるほどの美しさだそうです。

九州のほうで有名だと思っていたのですが、京都でも有名なところがあったんですね!

ちなみに「ツツジ」は韓国語で「진달래(ジンダルレ)」といいますが、

韓国でも春はいろんなところで咲き乱れます。

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そして、この横の道をずーっと行くと本殿に向かう鳥居がまた見えてきます。

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そしてここが本殿です。

この本殿は、昭和16年に京都平安神宮の本殿を移築したものだそうです。

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ここは天満宮のご祭神「菅原道真(すがわらのみちざね)」が亡くなった後

建てられた神社です。

この本殿に行くまでには、牛の像が2頭あります。

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「天満宮」に行けば、こういった「牛」が見られるところが多いんですが、ではなぜ「牛」か。

それは「菅原道真」に大きく関係しているのです。

①菅原道真が丑年(うしどし)の誕生。

②大宰府へ左遷される途次 賊に襲われた時、どこからともなく飛び出してきた白牛に助けられた。

③道真公の遺骨を乗せた牛車が途中で動かなくなり、そこを墓所とし、その上に大宰府天満宮が建てられた。

このようなことから、牛は「神の使い」とされ、どこの天神にも多く牛の像がおかれるようになったそうです。

よく、牛の像の頭なでると「ご利益がある」とか「賢くなる」といってなでませんか??

こんな理由があるそうです。

私も少しでも賢くなるようになでておきました^^;

長岡天満宮へのアクセスはこちら!↓

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西山浄土宗 総本山「光明寺(こうみょうじ)」

Filed Under (京都, 寺・神社, 日本観光) by Gatuchan on 26-11-2009

日本に帰国して、なんか色々やりたいことはあるし、時間もあるんだけど
いざ「やるッ!」となると何からやっていけばいいのやら~。ってことで。

友達にも会いたいことは会いたいんだけど、やっぱりプー太郎の身としては、
なんとなくお金をじゃんじゃん使いすぎるのにも気が引けて。小心者かもしれないんですが。

やっぱり心のどこかで焦ってるのかもしれないね。

とりあえず。帰国したら、日本の色んなところ、
特に自分の住んでいる京都には色んな美しい景色・歴史・建築などがあるのにも関わらず
あまりにも知識なさすぎ~ということで、まずは近くのところからまわっていくことにしています。

特に今は紅葉シーズン。

私の家からさほど遠くないところにある紅葉で有名なお寺へ歩いて行ってきました。

 

西山浄土宗 総本山「光明寺(こうみょうじ)」

ここの境内には、秋になると鮮やかな紅に染まる楓の木がたくさんあり、
紅葉の時期は多くの人が
カメラを持って美しい写真を撮るために集まってきます。

まず、総門をくぐります。

そして、表参道を上がっていきました。

今が本当に紅葉の色が一番赤く染まって鮮やかに出ていました。

真っ赤な色から、オレンジがかった色、黄色、そして黄緑など
様々な色の紅葉が太陽の光に照らされて
とても綺麗に反射しています。

鐘楼です。

この光明寺の開山第一世は法然(ほうねん)上人

「月影のいたらぬ里はなけれども、ながむる人のこころにぞすむ」

この歌は、法然上人が阿弥陀仏への信仰を歌に詠んだものです。

阿弥陀仏を「月」に、阿弥陀仏の救いの光を「月影」に、十万世界を「里」に、
お念仏申す人を「ながむる人」に譬えています。

阿弥陀仏の慈悲の光が届いていない里はどこにもないが、
弥陀の慈悲はお念仏者の心にだけ住み着くという意味です。

ここが光明寺の中心になるお堂
「御影堂(みえどう)」
です。

宝暦3年(1758年)に再建されました。

御本尊は法然上人御自作の「張り子の御影」です。

これは法然上人が75歳の時、「建永の法難」と呼ばれる弾圧により
四国へ流罪になったとき、弟子の願いに応えて、大切にしていた母君からの手紙を張り合わせて
自らの姿を像に作り、形見として与えたそうです。

 

靴を脱いで中に入り、廊下を通っていきますと・・・

見えてくるのが「釈迦堂(方丈)」と「信楽庭(しんぎょうてい)」

ご本尊は「頬焼の釈迦如来」。淀の水津村の漁師で、悪次郎とあだ名されたほどの乱暴者が、
托鉢の僧(実はこのお釈迦様)と出会って心を入れ替えるという物語に登場する仏像です。
頬には悪次郎に焼火箸で焼かれた跡という傷が見えます。

釈迦堂の前の白州に大小18個の石を配した庭は、阿弥陀さまの慈悲に包まれながら
生死の大海を渡る念仏行者の姿を現しているといわれています。

一番おおきな三つの岩は弥陀三尊の姿です。

また18という石の数は、阿弥陀如来が私たちに約束されたといわれる48の願いのうちの
18番目「念仏往生の願」を象徴しています。

釈迦堂に入ると、こんな立派な胡蝶蘭(こちょうらん)が飾られてありました。

これは、釈迦堂につながる「勅使門」です。

こちら勅使門を出た先にもホントに紅葉狩りにきている人が多く、
私と同じようにあちこちでシャッターをきっているひとがいました。

人がいないところでのいい写真を撮るのはやっぱり難しいな(*-*)
綺麗だと思って撮っても、後からみるとなんかのっぺりしてしまう。

さぁ~ここが有名な「もみじの参道」です。

総門から薬医門をへて玄関へいたるゆるやかな坂道の参道は、
両側から楓の木々が大きく枝を伸ばし、

紅葉の季節にはちょうど華やかなトンネルになります。
また、初夏の青葉も綺麗だそうです。

すみません・・・^^;やっぱり人がうつってしまいますが、雰囲気だけ。

でも、この次の紅葉の写真はなかなかのお気に入り。

あと、写真は撮っていませんが、御影堂の右側に「阿弥陀堂」というお堂があります。

ここは、建久二年(1198年)の創建に力を尽くした熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)が

琵琶湖畔堅田(かただ)の浮御堂から背負って帰ってきたという大きな阿弥陀像(約2m)が置かれています。

武士として戦乱に生きた直実は自らの罪の深さにおののいていましたが、法然上人の

「どんなに罪が深かろうと念仏を一心に申せば必ず救われる。」というお言葉に、
その場で出家を決意したといわれています。

その直実が熊谷連生法師として、念仏一筋に暮らしたのが「念仏三昧院」。
光明寺の前身です。

 

家から歩ける距離かなぁ~と思って頑張っていきましたが、
1時間以上かかったのかなーー^^;

 帰りは電車とバスで帰りましたが、
プー太郎としては動かなければ消費できないので、かなりいい運動になりました!!

光明寺へのアクセスはこちら↓!!

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